
第1章:10分間の逃避行
ポケットの中で、スマホがまた短く震えた。 SNSの通知、誰かの華やかな実績、飛び交う最新のトレンド、返信を急かすメッセージ。画面をスクロールするたびに、自分の脳のメモリがじりじりと削られていくのが分かった。情報が多すぎる。他人の声が大きすぎる。東京や天神の洗練されたビル群を見上げながら、私は息が詰まりそうな感覚に陥っていた。
「ダメだ、一度すべてを捨てよう」
そう思い立った私は、姪浜(めいのはま)のフェリー乗り場へと車を走らせた。 狙いは、博多湾にぽつりと浮かぶ島、能古島。
切符を買い、年季の入ったフェリーに乗り込む。ゴトゴトと重いエンジン音が足元から響き、船が岸を離れた。 たった10分。時間にしてそれだけ、距離にしてわずか数百メートルの海を渡るだけだ。
だが、船が波を切り進み、遠ざかる百道のウォーターフロントや福岡タワーの輪郭が小さくなっていくにつれ、不思議なほど胸の奥が軽くなっていくのを感じた。私はスマホの電源を長押しし、冷たい黒い画面に戻してポケットの奥底へ押し込んだ。
